※左から


yukihiro
ドラムス(千葉県市川市出身 1968年11月24日生)

tetsu
ベース、コーラス(リーダー・滋賀県米原市出身 1969年10月3日生)

ken
ギター、コーラス(滋賀県米原市出身1968年11月28日生)

hyde
ボーカル、コーラス、サイドギター(和歌山県和歌山市出身1969年1月29日生)


元メンバー

hiro
ギター -1992年6月12日脱退pero/ドラムス - 1992年12月30日脱退

sakura
ドラムス (東京都練馬区出身1969年11月20日生) -1997年11月4日脱退


概要


大要

1991年2月頃、大阪市でtetsuを中心に結成される。グループ名の「L'Arc〜en〜Ciel」はフランス語では「ラルカンスィエル」「ラフカンスィエル」[lar.k .sj l]と発音し、「虹」という意味(英語直訳は「the arch in (the) sky」、日本語直訳は「空中のアーチ」)。インディーズ時代は関西を拠点に活動。名前の正式な由来は不明であるが、阪急梅田駅前にあった喫茶店(現在は大丸梅田店の中に移転)の名前をtetsuが気に入り、そこから取ったという説が有力である。
当時のメンバーはtetsu(ベース)、hyde(ボーカル・当時は「Hide」と表記)、hiro(ギター)、pero(ドラムス)の4人。hydeとperoは共に「Jelsarem's Rod」で活動していたが、バンドのメインコンポーザーであったhydeが「行き詰まりを感じて」解散。バンドの解散前にセッション大会で会ったtetsuに「バンドを作ろう」と誘われ続けた結果、tetsuらとセッションをした縁もありL'Arc〜en〜Cielへと加入する[1]。5月30日にホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行われたファーストライブは、いわゆる「対バン」形式ながらも100人以上を動員、同年9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは、300人以上の動員を記録する異例の事態となった。
1992年6月、hiroが脱退し後釜にtetsuの幼なじみであったkenが加入。直後アルバムレコーディングを行うが、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。しかし、その1件で当時所属していた事務所との間に問題が生まれ、レコーディングに掛かった経費などを支払うように言われたが、これとほぼ同時に、現在の所属事務所であるデンジャークルー(現マーヴェリック・ディー・シー)社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍する。この時の借金は事務所間での話し合いがあり全て白紙になった[1]。
1993年、前年12月に脱退したperoに代わって1月にsakuraが加入。この後に約1ヶ月間のレコーディングに入り[2]、初の公式発売音源となる1stアルバム『DUNE』を発売。5月10日付オリコンインディーズアルバムチャートで1位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。この年の夏、当時ソニー・ミュージックエンタテインメント内では新規レーベルであった「キューン・ソニーレコード」(現キューンレコード)と契約を結び、1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』でメジャーデビューを果たす。
デビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初の全国ツアー「Sense of time '94」の東京ベイNKホール公演などではチケットがソールドアウトしないという事態が発生し[3]、以後は「スタッフに任せきり」だったコンサートのプロモーションなどを自分たちで行うようになる。10月21日には1stシングル『Blurry Eyes』を発売、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。
1995年に入ると積極的にライブ活動を行い、12月27日には「TOUR heavenly '95 final」で初の日本武道館コンサートを開催するなどコンサート中心の活動となった。その後もCDリリース・ライブ活動を中心に徐々に人気を広げ、1996年12月発売のアルバム『True』がデビュー後初のオリコン1位を獲得。『True』はその後発売6週目でミリオンセラーを記録し、同時期には初のアリーナツアーを開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、1997年2月にドラマーであるsakuraが逮捕、活動を完全に休止する。
sakuraの逮捕後「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡英、レコーディングを含めた数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元DIE IN CRIESのドラマー、yukihiroが参加し、同年10月 に長い休止から復活。直後発売したシングル『虹』は当時のL'Arc〜en〜Ciel史上第1位のヒット(当時の自己最高初動・最高売り上げを共に更新)を記録。12月23日に自身初となる東京ドームで行った復活コンサート「1997 REINCARNATION」では公演チケットが当時最速の4分で完売と、それまでには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。
翌1998年にはyukihiroがドラマーとして正式加入。8thシングル『winter fall』発売し、オリコンシングルチャートで初の初登場1位を記録。アルバム『HEART』の初動ミリオンヒット直後から大規模な連続リリースを行うようになり、7月に『HONEY』『花葬』『浸食 〜lose control〜』の3枚同時シングル発売や、それによるオリコンシングルチャート1〜3位独占、10月には『snow drop』『forbidden lover』の2枚2週連続シングル発売、1999年7月には『ark』『ray』の2枚同時アルバム発売などの特異的なCDリリースを行い大きな注目を浴びた結果、デビューがほぼ同時期であるGLAYとともに「邦楽2大ロックバンド」などと呼ばれることもあった。
また、この時期からプロレスラーである藤原喜明の起用を始めとする、バラエティに富んだ広告展開を行うようになり、テレビCMでは「グループ名の『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」ものや「『活動予定告知』の告知」を流し、新聞広告での「新曲の着信メロディの作成方法」など、それまでにはない奇抜なものを掲載するなど、注目を集めていった。
コンサートでは1999年に最大10万人規模の会場を回った野外ツアーを、2000年に初の4大ドームツアーを行ったが、2001年、シングル『Spirit dreams inside -another dream-』を発売した後に各自がソロ活動などに入り、実質的な活動休止状態になる。事実休止直前のメンバー関係は良いとは言えないものであったために一部では解散説も流れ、「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていたが、2003年に行われたライブ「Shibuya Seven days 2003」で大々的な復活を果たし、最終日には2004年3月のアルバム(SMILE)発売発表で解散説を一蹴。翌年2月4日にシングル『READY STEADY GO』を発売、完全復活を遂げた。
この復活以降はL'Arc〜en〜Cielとしての活動をメインに置き、シングル・アルバムの発売やコンサートツアーを行いつつ、各自がCDリリースなどのソロ活動を行っていたが、2005年9月に行われたツアー後にhydeがソロ活動再開を発表し、活動は再び休止され各メンバーのソロ活動に移行となった。その休止中である2006年にはバンド結成15周年を記念し「L'Anniversary」と題した企画[4]が発表、記念として特典を添付した再発版などがリリースされる中、11月25・26日に東京ドームで2日間の公演を行い、活動を再開させる。

音楽性

メンバーの一人一人が持つ高い演奏技術や楽曲センス、hydeの書く幻想的な詞の内容などがL'Arc〜en〜Cielの人気の一つとなっており、特に活動初期 - 中期の詞は「比喩に比喩を重ねた詞」と形容されるほど独特な表現をしている。また楽曲のレンジも幅広く、スタンダードなポップスから激しいハードロック、叙情的なバラードまで様々なバリエーションが存在するが、これはメンバー全員が作曲(・作詞)を行うことからも分かる。
また、カップリング曲をアルバムに収録しないのも有名で、シングル『DIVE TO BLUE』までは「表題曲+カップリング曲(+カラオケバージョン)」という形態で発売していたが、1998年のシングル3枚同時発売時からあまりその形態にこだわらなくなり、2003年には企画盤のベストアルバムとして『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』が発売、一部のファンからは批判も出た。なお、2004年からのシングルではメンバーのパートチェンジバンド「P'UNK〜EN〜CIEL」とのスプリットシングルという形態で発売されている。

L'Arc〜en〜Cielと「ヴィジュアル系」

1999年4月19日、NHKの音楽番組「ポップジャム」の5月1日放送分を収録中、tetsuが2曲演奏する所を1曲演奏時点で中止するという事態が起こる。事の発端は、当時番組MCを務めていたお笑いコンビ・爆笑問題の太田光がメンバーに対し「ヴィジュアル系」と発言した事から。トーク直後に演奏した『HEAVEN'S DRIVE』ではtetsuが本来行うはずのコーラスをやらず、演奏後ベースをぞんざいに扱うなど不機嫌な様子でステージから捌けていった。この事件は一部のファンの間で「ポップジャム事件」と呼ばれている。
この事件を2004年に出版されたtetsuのインタビュー本「哲学。」の中でtetsuは「楽器をぞんざいに扱いキレてそのまま帰ったというのは間違いである」とし、実際は「NHKとL'Arc〜en〜CielのメンバーおよびL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフが話し合った結果このまま収録を続行することができないという結論に達したため、スタッフ等に挨拶をし次の仕事へ向かった」といった内容を語っている。
実際L'Arc〜en〜Cielのメンバー内でhydeやkenなどは「ヴィジュアル系と言われるのは仕方が無い」と語っているが、tetsuは「『ヴィジュアル系』というのは差別用語」「楽曲をきちんと聴いてもらっていない証拠」とこれを頑なに否定しており、2000年にテレビ朝日系の報道番組「ニュースステーション」へVTR出演した際にも同様な発言を行った。ただ、初期のL'Arc〜en〜Cielにおいて、tetsuを始めメンバーの容姿はヴィジュアル系の様を呈しているため、この行動や「差別用語」発言に対する批判は多い。 更に他のヴィジュアル系バンドへのtetsu自身の差別だとも取れる発言といっていいだろう。

パートチェンジバンド

バンド内の遊びも兼ね、不定期でメンバー間のパートチェンジを行うことがある。またそこからの発展型として、過去KIOTO(キオト)、にD'Ark〜en〜Ciel(ダーク アン シエル)、P'UNK〜EN〜CIEL(パンク アン シエル)の3つのパートチェンジバンドが存在した。
KIOTOは1995年-1996年にライブのみで披露されたTOKIOのコピーバンドで、「LOVE YOU ONLY」をカバーしていた。ちなみに、このバンドは「TOKIOのリーダー城島茂公認」で「バンドの詳細は謎に包まれている」、という設定である。D'Ark〜en〜Cielは全てオリジナル曲のバンド。『the Fourth Avenue Caf 』参照。P'UNK〜EN〜CIELはL'Arc〜en〜Cielが過去に発表した楽曲をハードロック調にカバーするバンド。詳しくはP'UNK〜EN〜CIELを参照。

また、「Shibuya Seven days 2003」では『trick』のボーカルチェンジバージョンを、「AWAKE TOUR 2005」では『STAY AWAY』(「formation A」「formation B」の2パターン)のパートチェンジバージョンを披露している。

来歴

1991年
2月、大阪で結成。結成当初のメンバーはtetsuを中心にhyde、hiro、peroの4人。4月18日、YANTA鹿鳴館で上記の4人による謎のセッション・バンドとしてライヴを行う。5月30日、難波ロケッツ(大阪での活動拠点となったライブハウス)でL'Arc〜en〜Ciel名義での初ライブを行う。8月31日、市川CLUB GIOで関東での初ライブを行う。
1992年
6月12日に行われた難波ロケッツでのライブでhiroが脱退。その後任としてkenが加入。10月1日、コロムビアから発売されたオムニバスアルバム『GIMMICK』に『Voice』が収録される。11月25日、初の単独音源であるシングル『Floods of tears/夜想花』を発売し、限定1000枚が予約だけで完売する。12月30日に行われた大阪ミューズホールでのライブでperoが脱退。
1993年
peroの後任に元The HAREM Qのsakuraが加入。4月10日、Danger Crue Recordsからインディーズでアルバム『DUNE』の限定版を発売。4月27日に通常版を発売。5月31日付けのオリコンインディーズアルバムチャートで『DUNE』が1位を獲得。6月14日-7月3日、コンサートツアー「Close by DUNE」を開催。8月1日には日清パワーステーションで最終公演「Close by DUNE FINAL」を開催する。11月9日-12月20日、コンサートツアー「FEEL OF DUNE」を開催。
1994年
4月3日-4月15日、インディーズ時代最後のコンサートツアー「ノスタルジーの予感」を開催。7月1日、VHSビデオシングル『眠りによせて』でKi/oon Sony Records(現Ki/oon Records)からメジャーデビュー。7月14日、2ndアルバム『Tierra』発売。7月14日-8月27日、メジャーデビュー後初のコンサートツアー「Sense of time '94」を開催。10月21日、1stシングル『Blurry Eyes』発売。12月1日、公式ファンクラブ「Ciel(シエル)」の入会受付を開始する。12月1日、コンセプトビデオ『Siesta 〜Film of Dreams〜』発売。
1995年
2月1日、「Ciel」が正式に発会。これを受けて1月24日-2月4日に発足記念ライブ「Ciel/winter '95」を開催する。5月21日、2ndビデオシングル『and She Said』発売。5月21日-6月27日、コンサートツアー「in CLUB '95」を開催。7月6日、2ndシングル『Vivid Colors』発売。7月30日、渋谷公会堂で「Rendez-bous前夜祭」を行う。
8月22日、NACK5主催のライブイベント「彩の国秩父ミューズコンサート'95 NACK5 GO-ROCK」に黒夢、THE YELLOW MONKEYなどと共に参加。8月24日-8月31日、メンバー自身が全国を回るキャンペーンイベント「Rendez-bous 1995 Summer」を行う。9月1日、3rdアルバム『heavenly』発売。9月9日-10月4日、コンサートツアー「TOUR heavenly '95」を開催。10月3日からNACK5の番組「MIDNIGHT ROCK CITY」の火曜パーソナリティを務める(1996年3月26日まで)。10月21日、3rdシングル『夏の憂鬱 [time to say good-bye]』発売。12月12日-12月25日、コンサートツアー「The other side of heavenly '95」を開催。12月27日、「TOUR heavenly '95」の最終公演として、初の日本武道館ライブ「TOUR heavenly '95 final」を開催。
1996年
3月21日、ライブビデオ『heavenly 〜films〜』発売。4月3日-5月29日、コンサートツアー「Kiss medeadlyheavenly '96」を開催。5月26日にはそれを挟み東京ベイNKホールで「Kiss meheavenlydeadly '96 REVENGE」を開催。7月8日、4thシングル『風にきえないで』発売。8月26日-9月4日、コンサートツアー「BIG CITY NIGHTS ROUND AROUND '96」を開催。10月7日からTBSラジオで「ボンジュールL'Arc〜en〜Ciel」開始(1997年3月11日まで)。10月17日、5thシングル『flower』発売。11月21日、6thシングル『Lies and Truth』発売。12月12日、4thアルバム『True』発売。初のオリコンアルバムチャート1位獲得とミリオンセラーを記録する。12月23日-(1997年)1月29日、コンサートツアー「TOUR '96〜'97 Carnival of True」開催。sakura在籍時最後のコンサートツアーとなる。
1997年
2月24日、sakuraが覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕され(sakura逮捕時の流れや概要参照)、事実上の活動中止となる。10月17日、7thシングル『虹』発売。サポートドラムとして元DIE IN CRIESのyukihiroが参加する。11月4日付けでsakuraが正式に脱退を発表。12月23日、初の東京ドームライブ「1997 REINCARNATION」を開催。
1998年
1月1日付けでyukihiroが正式なメンバーとして加入。1月28日、8thシングル『winter fall』発売。2月9日付オリコンシングルチャートでシングル初の1位を獲得する。2月25日、5thアルバム『HEART』発売。3月25日、9thシングル『DIVE TO BLUE』発売。4月22日、PV・ライブ映像集『A PIECE OF REINCARNATION』発売。5月1日-7月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」前半戦を開催。7月8日、10thシングル『浸食 〜lose control〜』、11thシングル『HONEY』、12thシングル『花葬』を同時発売。同一アーティストが売り上げた最多初動セールスを記録。『HONEY』『花葬』がミリオンセラーを突破し、その中でも『HONEY』は自身最高のセールスを記録した(122.4万枚)。9月3日-10月21日、コンサートツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」後半戦を開催。10月5日からニッポン放送で「OH!DAIBA TO BLUE」開始。10月7日、13thシングル『snow drop』発売。通算3作目のミリオンを記録。10月14日、14thシングル『forbidden lover』発売。11月21日、全日本有線放送大賞を受賞。12月4日、日本有線大賞最多リクエスト歌手賞、日本有線大賞を受賞。12月23日、ライブビデオ『ハートに火をつけろ!』発売。12月31日、第40回日本レコード大賞優秀作品賞を獲得。同時に『HONEY』でNHK紅白歌合戦に初出場。
1999年
3月、第37回ゴールデン・アロー賞音楽賞、グランプリ受賞。4月3日、「OH!DAIBA TO BLUE」リニューアルスタート(同年6月終了)。4月18日-7月4日、テレビ朝日系「稲妻!ロンドンハーツ」のエンディングで楽曲を演奏するコーナーに出演。4月21日、15thシングル『HEAVEN'S DRIVE』発売。ノンタイアップながら通算4作目のミリオンを記録。
6月2日、16thシングル『Pieces』発売。7月1日、6thアルバム『ark』、7thアルバム『ray』を同時発売。両方がダブルミリオンを超える売り上げを記録。同時に8月31日までの62日間期間限定サイト「arkray.com」を展開。7月17日-8月21日、野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を開催。東京公演では10万人を超える観客を2日間に渡って動員する。8月11日、17thシングル『Driver's High』、PV集『CHRONICLE』を同時発売。10月4日からTOKYO FM系「やまだひさしのラジアンリミテッド」内で「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」開始。10月27日、18thシングル『LOVE FLIES』発売。12月1日、ライブビデオ『1999 GRAND CROSS CONCLUSION』発売。12月7日、1999年度ベストドレッサー賞受賞。12月31日、『HEAVEN'S DRIVE』で2度目の紅白出場。そのリハーサルや出演と平行し、初のカウントダウンライブ「RESET>>LIVE *000」を開催。2000年
公式ファンクラブの名称が「LE-CIEL(ルゥ シエル)」に改名。1月19日、19thシングル『NEO UNIVERSE/finale』発売。5作目のミリオンを記録。2007年時点でこのシングルがL'Arc〜en〜Cielのラストミリオンセラーシングルとなっている。6月28日、yukihiroプロデュースのリミックスアルバム『ectomorphed works』発売。7月19日、20thシングル『STAY AWAY』発売。8月30日、8thアルバム『REAL』発売。10月8日-10月27日、ライブハウスツアー「CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE」を開催。11月4日-12月6日、初のドームツアー「TOUR 2000 REAL」を開催。東京ドーム4公演のうち12月5日公演はYahoo! JAPAN内の「Yahoo!ブロードキャスト」で、12月6日公演はSKY PerfecTV!のペイ・パー・ビューチャンネルで、通常形態の放送に加え4人それぞれのアングルがチャンネル別(5チャンネル)に生放送された。 12月31日、『STAY AWAY』で3回目の紅白出場。
2001年
3月14日、Yahoo! JAPANとのジョイント企画で初のベストアルバム『Clicked Singles Best 13』発売。3月28日、PV集『CHRONICLE 2』発売。6月20日、ライブビデオ『CLUB CIRCUIT 2000 REALIVE -NO CUT-』発売。9月5日、21stシングル『Spirit dreams inside -another dream-』発売。発売後に活動休止状態に入り、その間は各個人がソロ活動を行う(hydeはHYDE名義、kenはSONS OF ALL PUSSYSとして、tetsuはTETSU69名義、yukihiroはacid androidとして活動)。
2002年
3月、「FLYING〜L'Arc〜ATTACK」レギュラー放送終了。
2003年
3月19日、企画盤ベストアルバム『The Best of L'Arc〜en〜Ciel』を3枚同時に発売。6月28日-7月6日、国立代々木競技場第一体育館での7Daysコンサート「Shibuya Seven days 2003」開催。最終日は世界初の試みとして、NTTドコモの「FOMA」を用いたライブ映像のストリーミング配信を行った。12月17日、ライブビデオ『7 Shibuya Seven days 2003 LIVE DVD』発売。また、「DVD Re-PRICE」として『眠りによせて』-『heavenly 〜films〜』のDVD版、『A PIECE OF REINCARNATION』・『ハートに火をつけろ!』のトールケース仕様廉価版を発売。12月26日、日本武道館で行われたマーヴェリック・ディー・シー主催のイベント「天嘉 弐 -DANGER II-」にスペシャルゲストとして参加。
2004年
2月4日、22ndシングル『READY STEADY GO』発売。2年7ヶ月振りに本格的な活動を開始する。3月3日、23rdシングル『瞳の住人』発売。3月31日、9thアルバム『SMILE』発売。5月11日-6月27日、コンサートツアー「SMILE TOUR 2004」を開催。L'Arc〜en〜Ciel名義での全国ツアーは3年6ヶ月振りとなる。6月2日、24thシングル『自由への招待』発売。7月24・25日、大阪ドームと横浜国際総合競技場で行われたロックフェスティバル「THE ROCK ODYSSEY 2004」に出演。7月30日、米メリーランド州ボルチモアで行われたアニメコンベンション「OTAKON2004」の一環で、初の海外でのコンサート「Live in USA」を行う。
12月14日、ライブビデオ『LIVE IN U.S.A 〜at 1st Mariner Arena July 31, 2004〜』発売。12月19日、大阪城ホールで行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。12月25日、「天嘉 参 -DANGER III-」にスペシャルゲストとして参加。12月26日、国立代々木競技場第一体育館で行われた「鋼の錬金術師FESTIVAL」にシークレットゲストとして参加。2005年
1月13日、25thシングル『Killing Me』発売。4月6日、26thシングル『New World』発売。5月18日、27thシングル『叙情詩』発売。6月1日、ライブビデオ『SMILE TOUR 2004 〜全国編〜』発売。6月22日、10thアルバム『AWAKE』発売。オリジナルアルバムでは『REAL』以来4年10ヶ月ぶりのオリコン1位を獲得する[5]。7月20日、28thシングル『Link』発売。7月22日、東京国際フォーラムで行われた「『劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者』前夜祭」にゲストとして参加。7月29日、大阪城西の丸庭園で行われたイベント「MBSANIME FES.'05」にシークレットゲストとして参加。8月6日-8月31日、コンサートツアー「AWAKE TOUR 2005」を開催。9月3日-9月25日、大韓民国、中華人民共和国、日本のアジア地域3カ国を回るコンサートツアー「ASIALIVE 2005」を開催。10月5日、HYDEがソロ6thシングル『COUNTDOWN』を発売し、翌年9月まで再びソロ活動に入る。これによりL'Arc〜en〜Cielの活動は一時休止。12月14日、ライブビデオ『AWAKE TOUR 2005』発売。12月25日、tetsuが元DEAD ENDのボーカルMORRIEのソロプロジェクト、「Creature Creature」にサポートベーシストとして参加することを発表。
2006年
6月21日、ライブビデオ『ASIALIVE 2005』発売。7月15日から8月31日にかけ、J-POP CAFE SHIBUYAでイベント「L'Arcafe」開催。8月30日、『Blurry Eyes』から『forbidden lover』までの14枚のシングルと、未発売だったシングル『the Fourth Avenue Caf 』を12cmシングル化して発売。この再発で前年にサザンオールスターズが記録した「同一アーティストによるオリコンシングルチャートTOP30入り」記録を12から15へ伸ばした[6]。11月25日・26日、東京ドームで結成15周年記念ライブ「L'Arc〜en〜Ciel 15th L'Anniversary Live」を開催、2日間で約12万人を動員する。12月13日、1999年に発売されたアルバム『ark』『ray』に特典DVDを付属した『15th Anniversary Expented Edition』を発売。
2007年
2月14日、PV集『CHRONICLE 0 -ZERO-』発売。4月4日、DVD-BOX『FIVE LIVE ARCHIVES』発売。5月30日、29thシングル『SEVENTH HEAVEN』発売。6月11日-8月30日、「ハートに火をつけろ!」以来9年ぶりとなるホール会場を回るコンサートツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!」を開催。7月28日、韓国・仁川広域市で行われたロックフェスティバル「2007 INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL」にヘッドライナーとして出演。8月29日、30thシングル『MY HEART DRAWS A DREAM』発売。9月12日、ライブビデオ『15th L'Anniversary Live』発売。10月10日、31stシングル『DAYBREAK'S BELL』発売。11月14日、32ndシングル『Hurry Xmas』発売。11月21日、11thアルバム『KISS』発売。『AWAKE』以来2年6ヶ月ぶり、7作目のオリコン1位を獲得[7]。12月5日、PV集『CHRONICLE 3』を発売予定。12月22日-(2008年)2月17日、コンサートツアー「TOUR 2007-2008 THEATER OF KISS」を開催予定。


sakura逮捕時の流れや概要

出典[8]
1997年2月24日
sakuraが覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕される。
1997年2月27日
裁判所から逮捕の事実の連絡が事務所へ行き渡り、メンバー緊急ミーティングを行う(sakuraは立川署にて身柄を拘束、接見禁止)。以後3月11日の読売新聞朝刊で事件の報道がされるまで何度もミーティングが行われる。
1997年3月11日
読売新聞朝刊で今回の事件が報道され、以後他の夕刊やスポーツ紙などでも事件の報道をされる。
1997年3月29日
前日にsakuraが仮釈放になったのを受け事件後初の4人でのメンバーミーティングを行う。
1997年4月17日
東京地裁八王子支部でsakuraの第一回公判が行われる。
1997年4月18日
バンドからオフィシャルファンクラブ「Ciel(現『LE-CIEL』)」並びマスコミやスタッフなどに今回の事件に関してコメントが発表される。

1997年4月27日
この日以降の各音楽雑誌に18日発表のコメントが掲載される。
1997年5月1日
sakuraに懲役2年、執行猶予3年という判決が言い渡される。
1997年10月17日
シングル『虹』を発売し活動再開。サポートドラマーとしてyukihiroが参加。
1997年11月4日
sakuraが正式にL'Arc〜en〜Cielを脱退(公式的な脱退理由は「音楽性の違いのため」と発表)。
1998年1月1日
同日付でyukihiroがL'Arc〜en〜Cielのドラマーとして正式加入。


事件を受けての活動の自粛等

3月26日に発売予定だったシングル『the Fourth Avenue Caf 』発売中止
同曲はフジテレビ系アニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-」のEDテーマだったが、以前のEDテーマであるT.M.Revolutionの「HEART OF SWORD 〜夜明け前〜」に差し替えられる(ビデオ版では1クール使用)旧譜の出荷停止(4月21日に解除する)TBS系ラジオ「ボンジュールL'Arc〜en〜Ciel」が3月11日を以て放送終了4月に予定されていたファンクラブツアー「ハワイ・アン・シエル」中止(1998年3月31日-4月6日に行われる)夏前発売予定だったニューシングルのレコーディング延期夏の野外ライブイベント(フジ・ロック・フェスティバル)出演中止各音楽雑誌でメンバーが行っていた連載等が休止

※Wikipedia引用
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